合格体験記
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2018年合格体験記 生徒⑦
私は3年生の2月に、
ひよし塾に入塾しました。
私が入塾した時は、
まだひよし塾ではなく
FELIXでした。
12月に体験に行った時には
私の他に生徒が1人しかいなくて、
ちょっと寂しいな…と思いました。
その後、2月に行った時には、
4人になっていました。
ちょっとホッとしました。
人数が少ないから、
そんなに勉強に苦労しないだろうなぁ
と思っていました。
でも、そんな事はありませんでした。
私は4年生の時に宿題で出ていた
計算テキストをためてしまい、
有久先生に注意されました。
その時、玉田先生が、
やっていないページを省いて
リセットしてくれました。
省いたページを今見てみたら、
とても簡単で、なぜこんなに
サボっていたのだろうと後悔しました。
また、漢字テスト勉強をしていなくて、
怒られると思い、
頭やお腹が痛いと言って、
国語の授業を休んだ事もありました。
今、考えたら、サボらないで
毎日やらないといけないものは、
きちんとやっていれば良かったと思います。
そして迎えた5年生。
算数では、土台となる基礎問題が
全く出来ておらず、
有久先生に注意されました。
その時、計算テキストを毎日やっておけば
良かったなと、またまた後悔しました。
理科では、苦手な力学の
点数の悪さが目立つようになり、
有久先生は嫌いじゃないのですが、
理科がちょっと嫌いに
なってしまいました。
社会では玉田先生の授業が
とても楽しく、得意科目になりました。
社会の中で一番楽しかった
授業は歴史です。
一つ一つの時代を
とても詳しく教わりました。
国語は、国語の授業の日に
他の習い事があり、
土曜日に振り替えの
授業をやってもらいました。
国語の問題は最初は記号問題で
たくさん点を落としていましたが、
記述問題で点を取ることが
できるよになり、
ある程度の点は取る事ができました。
5年生の初めは組み分けテストでしたが、
点数がとても悪く、
5年生の途中から
月例テストに戻しました。
その時に有久先生が、
「月例テストで良い点をとっていれば、
第一志望校には受かるから。」
と、言ってくれました。
月例テストでも、嫌いな理科は
点数がとても悪いままでした。
理科の点が悪いまま、迎えた6年生。
6年生からは合不合判定テストが始まり、
1回目の合不合では、
第一志望校の判定がとても悪く、
自分でも驚きました。
2回目の合不合では、
思ったより点が良く、
玉田先生に、
「志望校のレベルを上げよう」と言われました。
でも、私は、どうしても第一志望校に
行きたいと思っていたので、
第一志望校は変えずに
第二志望校を変えました。
この合不合で、第一志望校の
判定は75%になり、とても気が楽になりました。
しかし次の合不合以降でも、
第二志望校の判定は
ずっと20%のままでした。
国語の対策として、
語彙の問題が出来なかったので、
石井先生にプリントをもらいました。
(これはおすすめです!)
国語は好きな科目だったので
そんなに負担には思わなかったのですが、
第二志望校の算数が
私にはとにかく難しく、
かなりの負担になり
勉強そのものが嫌になってしまいました。
12月のある日、
第二志望校の勉強が辛くて、
第二志望校を諦めることにしました。
翌日、玉田先生に呼び出しされ、
「どう?」と聞かれました。
その時、自分の気持ちを素直に話し、
「正直、ホッとした。」と、言ったら、
玉田先生は笑って、
「キツかったか。よう頑張ったな。」
と、言ってくれました。
その時、本当に気が楽になりました。
しかし、第二志望校の願書を学校に
出していたので受けることになりました。
気が楽になったのは
ほんの一瞬で、
またすぐに焦ってしまいました。
それからは玉田先生と相談して、
算数は第二志望校の過去問を
取り組むことによって、
第一志望校&第二志望校の対策をしました。
国語は第一志望校の過去問で
第二志望校&第一志望校の対策をしました。
1月後半の6年対応日、
4年生の時と同じように、
私はまたしても計算テキストの
直しをためてしまい、
有久先生に怒られました。
「計算テキスト直しをしないから
いつまでたっても算数で
点が取れないんだよ。」と。
そこから、有久先生に質問できるように、
自分で直してみて、
考えても分からなかったら質問しました。
そして、直しが終わったら
理社を詰め込みました。
この時点でギリギリの
スケジュールです。
そして迎えた2月1日。
ガチガチに緊張していました。
玉田先生と有久先生にも
言われた通り、いつも通りに
受ければ大丈夫だと
自分に言い聞かせていました。
しかし、第一志望校は不合格。
どうしても行きたい学校なのに…と、
とても悔しくて、1日の夜は
泣きながら寝ました。
2日の午前は、もう1度
第一志望校にチャレンジしました。
1日よりももっと手ごたえがなく、
試験が終わり片づけをしている時に、
前の席の人に私の受験票を
床に落とされ、
更に別の人に受験票を踏まれ、
「あー。落ちた。。。」
と思いました。
午後の試験の前に、
食堂でご飯を食べていたら、
母の電話がなりました。
その相手は、玉田先生でした。
午前の試験の手ごたえが全然なく
落ち込んでいたその時、
玉田先生の声を聞き、
励まされたことによって、
午後の試験は落ち着いて
受ける事が出来ました。
せっかく励まして貰ったのに
午後の試験も手応えがなく、
落ち込んだ気持ちで
試験の帰りに塾に寄りました。
翌日以降の対策をしなければ
いけないんだなぁ、と
重い気持ちで塾の扉を開けました。
その時、有久先生がいて
「午前の結果出てるけどみた?」
と言われました。
私は急いでその場で
母の携帯を操作しました。
あってもなくても
自分の目で確かめようと
思いました。
番号を目で追うと私の番号がありました。
あの時は、とても嬉しかったです。
気持ちを切り替えて翌日の、
第二志望校の事を考えました。
第二志望校の偏差値は
第一志望校の偏差値より
はるかに高い偏差値でした。
やはり第二志望校の試験も
手ごたえが全くありませんでした。
最後に面接があり、
せめて面接は楽しもうと思いました。
(面接はとても楽しかったです。)
ここの学校受かったら
格好良いだろうなぁと思いました。
が、やっぱり私の番号はありませんでした。
最終的に、私は1校しか
受かりませんでした。とても残念です。
ですが、第一志望校に
合格できたから本当に嬉しいです。
私が、受験する人にアドバイスするならば、
①計算テキスト、計算プリント、
漢字は毎日必ずやる。
間違えた問題はそのままにしない!
②基礎を定着させるために、
算数の1行問題集を何度もやる。
③ためたらあとで大変になるので、
時間を有効に使い、質問をする。
この3つは最低限やらなければ
いけないことだと思います。
そして、私のように、終わってから
「あの時やっておけば…」と後悔しないように、
“今”頑張ることが大事なことだと思います。
勉強は大変でしたが、
この学年は面白い友達が多くて、
とても楽しかったです。
塾に行かなくなった今、
なんだかちょっと寂しいです。
サボってばかりの私を
最後まで見捨てずに、
合格に導いてくれた
玉田先生、有久先生、石井先生、
その他の先生方、
本当にありがとうございました。
【玉田より】
3年間ご通塾ありがとうございました。
3年生の2月,最初は4人程度で
前の教室の一ばん狭い教室で勉強を
始めましたね。懐かしい思い出です。
途中計算をためてしまったり
漢字をさぼってしまったり
日常生活のスピード不足を感じる毎日でした。
結構勉強がしんどかったかな。
結果が出ない中で前向きにモチベーションを
保つことは非常に難しいです。
その中でよく頑張ってくれていました。
志望校がある程度決まり、
その学校は私の娘も通わせたいくらい
いい学校です。
ぜひ頑張って活躍して
いただきたいと思います。
中学校では多くの
課題と多くの課外活動があります。
女子は忙しくあるべきと学校の先生が
言い切っているので
ぜひついていってくださいね。
私も他の先生方も
ご両親もあなたのポテンシャルが
高いことに気付いていました。
夏場にある程度の上昇曲線を
描き始めたのでそれを考えながら
志望校を上げて頑張って
一つ上のステージに行ってもらいたいと
思っていました。
ただ、第一志望校の
インパクトが強烈なので、
他の学校に魅力を感じなかったのかも
しれません。それは今回の合格体験記や
それまでの姿を見ていて思っていました。
勉強面ではまだまだ余裕があった状態での
合格なので、入学後はしっかりと
勉強してくださいね。
初日で合格しなかったのは
そういう油断がないようにという
縁だったのかもしれませんね。
100%大丈夫という状態であっても
残念な結果になるときは何かが
欠けているものです。
その分2日目は手ごたえを感じないくらい
冷静に解けたのだと思います。
体は一つです。
一つの学校の合格があれば
受験は成功だと思います。
それ以外の受験は全て第一志望校の
肥やしになります。
本当によく頑張りました。
第一志望校に入られなかった同級生は
たくさんいます。その人たちの分も
その学校でできることを全部やりつくす気持ちで
6年間励んでくださいね。
いつも応援しています。
また、さぼりそうになったときは
塾に来てください。
有久先生に注意してもらいましょう。
玉田
ひよし塾に入塾しました。
私が入塾した時は、
まだひよし塾ではなく
FELIXでした。
12月に体験に行った時には
私の他に生徒が1人しかいなくて、
ちょっと寂しいな…と思いました。
その後、2月に行った時には、
4人になっていました。
ちょっとホッとしました。
人数が少ないから、
そんなに勉強に苦労しないだろうなぁ
と思っていました。
でも、そんな事はありませんでした。
私は4年生の時に宿題で出ていた
計算テキストをためてしまい、
有久先生に注意されました。
その時、玉田先生が、
やっていないページを省いて
リセットしてくれました。
省いたページを今見てみたら、
とても簡単で、なぜこんなに
サボっていたのだろうと後悔しました。
また、漢字テスト勉強をしていなくて、
怒られると思い、
頭やお腹が痛いと言って、
国語の授業を休んだ事もありました。
今、考えたら、サボらないで
毎日やらないといけないものは、
きちんとやっていれば良かったと思います。
そして迎えた5年生。
算数では、土台となる基礎問題が
全く出来ておらず、
有久先生に注意されました。
その時、計算テキストを毎日やっておけば
良かったなと、またまた後悔しました。
理科では、苦手な力学の
点数の悪さが目立つようになり、
有久先生は嫌いじゃないのですが、
理科がちょっと嫌いに
なってしまいました。
社会では玉田先生の授業が
とても楽しく、得意科目になりました。
社会の中で一番楽しかった
授業は歴史です。
一つ一つの時代を
とても詳しく教わりました。
国語は、国語の授業の日に
他の習い事があり、
土曜日に振り替えの
授業をやってもらいました。
国語の問題は最初は記号問題で
たくさん点を落としていましたが、
記述問題で点を取ることが
できるよになり、
ある程度の点は取る事ができました。
5年生の初めは組み分けテストでしたが、
点数がとても悪く、
5年生の途中から
月例テストに戻しました。
その時に有久先生が、
「月例テストで良い点をとっていれば、
第一志望校には受かるから。」
と、言ってくれました。
月例テストでも、嫌いな理科は
点数がとても悪いままでした。
理科の点が悪いまま、迎えた6年生。
6年生からは合不合判定テストが始まり、
1回目の合不合では、
第一志望校の判定がとても悪く、
自分でも驚きました。
2回目の合不合では、
思ったより点が良く、
玉田先生に、
「志望校のレベルを上げよう」と言われました。
でも、私は、どうしても第一志望校に
行きたいと思っていたので、
第一志望校は変えずに
第二志望校を変えました。
この合不合で、第一志望校の
判定は75%になり、とても気が楽になりました。
しかし次の合不合以降でも、
第二志望校の判定は
ずっと20%のままでした。
国語の対策として、
語彙の問題が出来なかったので、
石井先生にプリントをもらいました。
(これはおすすめです!)
国語は好きな科目だったので
そんなに負担には思わなかったのですが、
第二志望校の算数が
私にはとにかく難しく、
かなりの負担になり
勉強そのものが嫌になってしまいました。
12月のある日、
第二志望校の勉強が辛くて、
第二志望校を諦めることにしました。
翌日、玉田先生に呼び出しされ、
「どう?」と聞かれました。
その時、自分の気持ちを素直に話し、
「正直、ホッとした。」と、言ったら、
玉田先生は笑って、
「キツかったか。よう頑張ったな。」
と、言ってくれました。
その時、本当に気が楽になりました。
しかし、第二志望校の願書を学校に
出していたので受けることになりました。
気が楽になったのは
ほんの一瞬で、
またすぐに焦ってしまいました。
それからは玉田先生と相談して、
算数は第二志望校の過去問を
取り組むことによって、
第一志望校&第二志望校の対策をしました。
国語は第一志望校の過去問で
第二志望校&第一志望校の対策をしました。
1月後半の6年対応日、
4年生の時と同じように、
私はまたしても計算テキストの
直しをためてしまい、
有久先生に怒られました。
「計算テキスト直しをしないから
いつまでたっても算数で
点が取れないんだよ。」と。
そこから、有久先生に質問できるように、
自分で直してみて、
考えても分からなかったら質問しました。
そして、直しが終わったら
理社を詰め込みました。
この時点でギリギリの
スケジュールです。
そして迎えた2月1日。
ガチガチに緊張していました。
玉田先生と有久先生にも
言われた通り、いつも通りに
受ければ大丈夫だと
自分に言い聞かせていました。
しかし、第一志望校は不合格。
どうしても行きたい学校なのに…と、
とても悔しくて、1日の夜は
泣きながら寝ました。
2日の午前は、もう1度
第一志望校にチャレンジしました。
1日よりももっと手ごたえがなく、
試験が終わり片づけをしている時に、
前の席の人に私の受験票を
床に落とされ、
更に別の人に受験票を踏まれ、
「あー。落ちた。。。」
と思いました。
午後の試験の前に、
食堂でご飯を食べていたら、
母の電話がなりました。
その相手は、玉田先生でした。
午前の試験の手ごたえが全然なく
落ち込んでいたその時、
玉田先生の声を聞き、
励まされたことによって、
午後の試験は落ち着いて
受ける事が出来ました。
せっかく励まして貰ったのに
午後の試験も手応えがなく、
落ち込んだ気持ちで
試験の帰りに塾に寄りました。
翌日以降の対策をしなければ
いけないんだなぁ、と
重い気持ちで塾の扉を開けました。
その時、有久先生がいて
「午前の結果出てるけどみた?」
と言われました。
私は急いでその場で
母の携帯を操作しました。
あってもなくても
自分の目で確かめようと
思いました。
番号を目で追うと私の番号がありました。
あの時は、とても嬉しかったです。
気持ちを切り替えて翌日の、
第二志望校の事を考えました。
第二志望校の偏差値は
第一志望校の偏差値より
はるかに高い偏差値でした。
やはり第二志望校の試験も
手ごたえが全くありませんでした。
最後に面接があり、
せめて面接は楽しもうと思いました。
(面接はとても楽しかったです。)
ここの学校受かったら
格好良いだろうなぁと思いました。
が、やっぱり私の番号はありませんでした。
最終的に、私は1校しか
受かりませんでした。とても残念です。
ですが、第一志望校に
合格できたから本当に嬉しいです。
私が、受験する人にアドバイスするならば、
①計算テキスト、計算プリント、
漢字は毎日必ずやる。
間違えた問題はそのままにしない!
②基礎を定着させるために、
算数の1行問題集を何度もやる。
③ためたらあとで大変になるので、
時間を有効に使い、質問をする。
この3つは最低限やらなければ
いけないことだと思います。
そして、私のように、終わってから
「あの時やっておけば…」と後悔しないように、
“今”頑張ることが大事なことだと思います。
勉強は大変でしたが、
この学年は面白い友達が多くて、
とても楽しかったです。
塾に行かなくなった今、
なんだかちょっと寂しいです。
サボってばかりの私を
最後まで見捨てずに、
合格に導いてくれた
玉田先生、有久先生、石井先生、
その他の先生方、
本当にありがとうございました。
【玉田より】
3年間ご通塾ありがとうございました。
3年生の2月,最初は4人程度で
前の教室の一ばん狭い教室で勉強を
始めましたね。懐かしい思い出です。
途中計算をためてしまったり
漢字をさぼってしまったり
日常生活のスピード不足を感じる毎日でした。
結構勉強がしんどかったかな。
結果が出ない中で前向きにモチベーションを
保つことは非常に難しいです。
その中でよく頑張ってくれていました。
志望校がある程度決まり、
その学校は私の娘も通わせたいくらい
いい学校です。
ぜひ頑張って活躍して
いただきたいと思います。
中学校では多くの
課題と多くの課外活動があります。
女子は忙しくあるべきと学校の先生が
言い切っているので
ぜひついていってくださいね。
私も他の先生方も
ご両親もあなたのポテンシャルが
高いことに気付いていました。
夏場にある程度の上昇曲線を
描き始めたのでそれを考えながら
志望校を上げて頑張って
一つ上のステージに行ってもらいたいと
思っていました。
ただ、第一志望校の
インパクトが強烈なので、
他の学校に魅力を感じなかったのかも
しれません。それは今回の合格体験記や
それまでの姿を見ていて思っていました。
勉強面ではまだまだ余裕があった状態での
合格なので、入学後はしっかりと
勉強してくださいね。
初日で合格しなかったのは
そういう油断がないようにという
縁だったのかもしれませんね。
100%大丈夫という状態であっても
残念な結果になるときは何かが
欠けているものです。
その分2日目は手ごたえを感じないくらい
冷静に解けたのだと思います。
体は一つです。
一つの学校の合格があれば
受験は成功だと思います。
それ以外の受験は全て第一志望校の
肥やしになります。
本当によく頑張りました。
第一志望校に入られなかった同級生は
たくさんいます。その人たちの分も
その学校でできることを全部やりつくす気持ちで
6年間励んでくださいね。
いつも応援しています。
また、さぼりそうになったときは
塾に来てください。
有久先生に注意してもらいましょう。
玉田