合格体験記
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2019年合格体験記 生徒⑫
私は、4年生からひよし塾に入塾しました。
その時から変わらない印象は、
先生が面白くて
とても楽しい授業です。
友達も優しくて
塾に行くのはとても楽しみでした。
5年生になり、
だんだん勉強が難しくなってきて
みんなと差が4年生の時より
大きくなりはじめました。
けれど、4年生の時に
コツコツ頑張ってきたおかげで
少しは補えました。
宿題の量にも慣れてきて
波に乗っていた時に、
私は起立性調節障害
という病気になってしまい、
体調を崩して塾を
何週間も休んで
しまっていました。
そして6年生。
4月・5月は体調が
良くなってきていましたが、
6月になり一気に悪くなってしまい、
入院してしまいました。
そのため、志望校をまた
一から探すことになりました。
けれど、体調を崩す前から
行きたかった学校が
私の病気について
受け入れてくれる学校だったので、
第1志望校になりました。
9月。志望校の過去問を
解きはじめました。
はじめて解いた過去問は
第2志望校の問題でした。
自分の中では良い結果でした。
そしていよいよ第1志望校の過去問。
結果はあまり良くなかったです。
私の第1志望校の国語は、
難しくて先生に何度も
質問して教えてもらいました。
そのおかげで、
前に比べてとけるようになりました。
算数は、はじめの1行問題の問題を
取れるようにしようといわれたので、
一行問題集を解きました。
理科は知識が足りなかったので、
先生からもらったプリントで
覚え直しました。
そして社会が私にとって
1番の超不得意科目でした。
その中でも特に歴史系。
人物の名前と顔と年や年号が
一致しなかったり、
お寺の名前をすべて
漢字で書くことができませんでした。
しかも解くスピードが
とても遅かったので
最後までいかず、
第1志望校の過去問で
50点中点数が4点のこともありました。
このようなことが続き、
第1志望校の過去問は
2回目も合わせて
1度も合格最低点を超えませんでした。
あっと言う間に1月になりました。
先生からもらった
理科・社会のプリントをやったり、
算数の問題をやったりしました。
そして1月受験当日。
私は受験の雰囲気がよくわからず、
行きはずっと緊張していました。
受験会場の駅で、
石井先生からアドバイスをいただき、
そのまま会場へ行きました。
受験が終わり、
塾に行って解き直しをしに行きました。
手応えはありませんでした。
後日、合格発表の日。
私は塾で結果を見ました。
結果は不合格でした。
私は“やっぱり…”と思ったと同時に、
“とても悔しい”と思いました。
そして、受験本番で
そんな思いをしたくないと思いました。
そこから私のスイッチが
少しずつ入りはじめました。
プリントもたくさんやるようになりました。
そして2月1日。
私はとても緊張していました。
午前は第1志望校を受験しました。
緊張してしまい、よくできませんでした。
午後は第2志望校を受験しました。
2科だったので私はほんのすこしだけ
手応えがありました。
結果はその日の夜に結果が出ました。
午前の第1志望校は不合格でした。
けれど、午後の第2志望校は合格でした。
私は第1志望校の学校も
第2志望校の学校も
おんなじくらい行きたい学校だったので、
とても嬉しかったのですが、
やはり第1志望校の学校に行きたいと思いました。
だから、明日の第1志望校の受験は
絶対合格したいと思いました。
2月2日。
午前の受験は行かずに、
午後の受験に向けて
玉田先生や有久先生と
1日の直しをしたり、
過去問を解いてから、
最後の第1志望校の受験をしました。
とても緊張してしまい、
国語が最後まで終わらなかったし
問題もとばしてしまったので、
もうダメだと思いました。
次の日に結果が出ました。
結果は不合格でした。
とても悲しかったです。
でも、繰り上げ候補者になれました。
嬉しかったのですが、
自分の番は
まわってこないと思っていました。
けれど、数日後に
合格の電話がかかってきました。
びっくりして信じられませんでした。
そして私は第1志望校の学校に
行くことになれました。
長くなりましたが、
私がアドバイス
できることは、3つあります。
1つ目は、漢字や赤計算や
青計算を「コツコツ」やることです。
私はその「コツコツ」が
できなくなってたまってしまい、
大変でした。
なのでためないように
した方がいいと思います。
しかも、計算問題や一行問題は
受験でだいたいは出ると思うので
出来るようにした方が
絶対にいいと思います。
2つ目は、作文の宿題を
ちゃんとこなすことです。
私はその作文の宿題のおかげで
記述の問題に強くなりました。
記述の多い学校を受験する人には
(記述がでない人でも絶対に)、
ためになると思います。
3つ目は、先生からのアドバイスを
受けたら実行することです。
先生は自分のことを思って
言ってくださっているので、
きちんと聞いてやるのがいいと思います。
玉田先生、有久先生、石井先生、
桑原先生、伊藤先生、大学生の先生方、
3年間本当にありがとうございました。
【玉田より】
3年間ご通塾ありがとうございました。
また、第一志望校合格進学
おめでとうございます。
私も4年生の時に体調を崩し
当時は自律神経失調症と
診断されたのですが
受験勉強のサイクルを作ることがとても
難しく、苦労しました。
体調がいい時に
取り組めるだけ取り組んで
調子が悪くなったら
しっかり休むという
一進一退の状態が続きましたね。
それでも志望校を変更せずに
3校に絞って取り組んで
結果を出したことは素晴らしいと
思います。
私が小学生の時にできなかったことを
代わりに成し遂げてくれたことを
本当にうれしく思います。
4年生の時に結果が出ない時期が
続きましたがコツコツ取り組んでいたことで
土台が構築できていたからこそ
調子のいいときにしっかり取り組めたのだと
思います。
本当によく頑張ってくれました。
1月校の結果は
最後の追い込みを作るきっかけに
なったのであれば
あの時に必要な経験だったのでしょう。
そこから試験が終わるまで苦しい時期が
続いたと思いますが
本当によく乗り越えてくれました。
これからは健康状態と相談しながら
過ごしていくことになります。
私は疲れたらずる休みといわれようが
しっかり静養して、体調回復に努めました。
自分の体は自分しか分からないので
無理だけないように
切り替えながらテキパキ取り組めるように
努力を重ねてください。
そして勉強で困ったことがあれば
いつでも塾に来てください。
待っています。
本当によく頑張りました。
これからも健康第一で
すごしてくださいね。
合格おめでとうございます。
これからの活躍に期待しております。
玉田
その時から変わらない印象は、
先生が面白くて
とても楽しい授業です。
友達も優しくて
塾に行くのはとても楽しみでした。
5年生になり、
だんだん勉強が難しくなってきて
みんなと差が4年生の時より
大きくなりはじめました。
けれど、4年生の時に
コツコツ頑張ってきたおかげで
少しは補えました。
宿題の量にも慣れてきて
波に乗っていた時に、
私は起立性調節障害
という病気になってしまい、
体調を崩して塾を
何週間も休んで
しまっていました。
そして6年生。
4月・5月は体調が
良くなってきていましたが、
6月になり一気に悪くなってしまい、
入院してしまいました。
そのため、志望校をまた
一から探すことになりました。
けれど、体調を崩す前から
行きたかった学校が
私の病気について
受け入れてくれる学校だったので、
第1志望校になりました。
9月。志望校の過去問を
解きはじめました。
はじめて解いた過去問は
第2志望校の問題でした。
自分の中では良い結果でした。
そしていよいよ第1志望校の過去問。
結果はあまり良くなかったです。
私の第1志望校の国語は、
難しくて先生に何度も
質問して教えてもらいました。
そのおかげで、
前に比べてとけるようになりました。
算数は、はじめの1行問題の問題を
取れるようにしようといわれたので、
一行問題集を解きました。
理科は知識が足りなかったので、
先生からもらったプリントで
覚え直しました。
そして社会が私にとって
1番の超不得意科目でした。
その中でも特に歴史系。
人物の名前と顔と年や年号が
一致しなかったり、
お寺の名前をすべて
漢字で書くことができませんでした。
しかも解くスピードが
とても遅かったので
最後までいかず、
第1志望校の過去問で
50点中点数が4点のこともありました。
このようなことが続き、
第1志望校の過去問は
2回目も合わせて
1度も合格最低点を超えませんでした。
あっと言う間に1月になりました。
先生からもらった
理科・社会のプリントをやったり、
算数の問題をやったりしました。
そして1月受験当日。
私は受験の雰囲気がよくわからず、
行きはずっと緊張していました。
受験会場の駅で、
石井先生からアドバイスをいただき、
そのまま会場へ行きました。
受験が終わり、
塾に行って解き直しをしに行きました。
手応えはありませんでした。
後日、合格発表の日。
私は塾で結果を見ました。
結果は不合格でした。
私は“やっぱり…”と思ったと同時に、
“とても悔しい”と思いました。
そして、受験本番で
そんな思いをしたくないと思いました。
そこから私のスイッチが
少しずつ入りはじめました。
プリントもたくさんやるようになりました。
そして2月1日。
私はとても緊張していました。
午前は第1志望校を受験しました。
緊張してしまい、よくできませんでした。
午後は第2志望校を受験しました。
2科だったので私はほんのすこしだけ
手応えがありました。
結果はその日の夜に結果が出ました。
午前の第1志望校は不合格でした。
けれど、午後の第2志望校は合格でした。
私は第1志望校の学校も
第2志望校の学校も
おんなじくらい行きたい学校だったので、
とても嬉しかったのですが、
やはり第1志望校の学校に行きたいと思いました。
だから、明日の第1志望校の受験は
絶対合格したいと思いました。
2月2日。
午前の受験は行かずに、
午後の受験に向けて
玉田先生や有久先生と
1日の直しをしたり、
過去問を解いてから、
最後の第1志望校の受験をしました。
とても緊張してしまい、
国語が最後まで終わらなかったし
問題もとばしてしまったので、
もうダメだと思いました。
次の日に結果が出ました。
結果は不合格でした。
とても悲しかったです。
でも、繰り上げ候補者になれました。
嬉しかったのですが、
自分の番は
まわってこないと思っていました。
けれど、数日後に
合格の電話がかかってきました。
びっくりして信じられませんでした。
そして私は第1志望校の学校に
行くことになれました。
長くなりましたが、
私がアドバイス
できることは、3つあります。
1つ目は、漢字や赤計算や
青計算を「コツコツ」やることです。
私はその「コツコツ」が
できなくなってたまってしまい、
大変でした。
なのでためないように
した方がいいと思います。
しかも、計算問題や一行問題は
受験でだいたいは出ると思うので
出来るようにした方が
絶対にいいと思います。
2つ目は、作文の宿題を
ちゃんとこなすことです。
私はその作文の宿題のおかげで
記述の問題に強くなりました。
記述の多い学校を受験する人には
(記述がでない人でも絶対に)、
ためになると思います。
3つ目は、先生からのアドバイスを
受けたら実行することです。
先生は自分のことを思って
言ってくださっているので、
きちんと聞いてやるのがいいと思います。
玉田先生、有久先生、石井先生、
桑原先生、伊藤先生、大学生の先生方、
3年間本当にありがとうございました。
【玉田より】
3年間ご通塾ありがとうございました。
また、第一志望校合格進学
おめでとうございます。
私も4年生の時に体調を崩し
当時は自律神経失調症と
診断されたのですが
受験勉強のサイクルを作ることがとても
難しく、苦労しました。
体調がいい時に
取り組めるだけ取り組んで
調子が悪くなったら
しっかり休むという
一進一退の状態が続きましたね。
それでも志望校を変更せずに
3校に絞って取り組んで
結果を出したことは素晴らしいと
思います。
私が小学生の時にできなかったことを
代わりに成し遂げてくれたことを
本当にうれしく思います。
4年生の時に結果が出ない時期が
続きましたがコツコツ取り組んでいたことで
土台が構築できていたからこそ
調子のいいときにしっかり取り組めたのだと
思います。
本当によく頑張ってくれました。
1月校の結果は
最後の追い込みを作るきっかけに
なったのであれば
あの時に必要な経験だったのでしょう。
そこから試験が終わるまで苦しい時期が
続いたと思いますが
本当によく乗り越えてくれました。
これからは健康状態と相談しながら
過ごしていくことになります。
私は疲れたらずる休みといわれようが
しっかり静養して、体調回復に努めました。
自分の体は自分しか分からないので
無理だけないように
切り替えながらテキパキ取り組めるように
努力を重ねてください。
そして勉強で困ったことがあれば
いつでも塾に来てください。
待っています。
本当によく頑張りました。
これからも健康第一で
すごしてくださいね。
合格おめでとうございます。
これからの活躍に期待しております。
玉田