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合格体験記
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2020年合格体験記 保護者様③
息子がひよし塾に入塾したのは
小4になってからでした。
それまでは、他の塾に通っておりましたが、
宿題も多く勉強のペースが
掴めませんでしたので
知り合いの紹介で
ひよし塾の体験授業に参加し、
息子の意思で転塾を決意しました。
入塾し4・5年時は、
1週間の勉強スケジュールを作成し
宿題・計算・妻が作成した
漢字プリントを毎日こなし、
他の習い事がない日は
塾の自習室へ行き勉強をするという
生活を2年繰り返しました
(因みに私は、計算の丸付け・お迎え担当でした)。
志望校選びはというと、
息子はスポーツが盛んな学校を希望しており、
文武両道を掲げている中学校を候補に
4・5年生の時、学校説明会・学園祭へ多数行き、
その中から行きたい中学校を3校に絞りました。
目標も定まり気合を入れ、
臨んだ初めての合不合テストは
散々な結果でした。
その後の2・3回目も
それまで牽引してきた算数が不調で、
結果を出すことが出来ませんでした。
原因は、ケアレスミスです。
授業での確認テストでも
ケアレスミスを連発し
復調の兆しはありません。
その頃から息子によく言っていた事は
「算数に頼るのはやめよう。国語・理科・社会の
3教科を底上げしないと志望校合格は出来ない。
国語を今からしっかりやろう。」
でした。そこから息子も一変し、
石井先生へ積極的にプリントを依頼したり、
本を読んだりするようになりました。
夏休みは、朝から晩まで塾に入り浸り、
授業と自習を毎日取り組み、
その結果夏休み明け以降の
合不合テストでは、大幅に点数を上げ
志望校も手の届くところまで復調しました。
点数を押し上げたのは
国語・理科・社会の3教科でしたので
息子は自信につながったと思います。
しかし、10月頃から開始した
志望校の過去問では
なかなか結果を出すことが
出来ませんでしたが、
挫ける事なく何度も何度も解き直し、
苦手単元を明確にし
その対策プリントを
有久先生・石井先生に
もらいそれを何度も解くなど
粘り強く勉強してました。
そうこうしているとあっという間に
1月校入試の始まりです。
息子は極度に緊張するので、
玉田先生とも相談し
1月校入試は2校受験しました。
案の定、相当緊張したようですが、
2校とも合格する事が出来ました。
勢いそのままに2月校受験です。
短いようで長かった3日間の始まりです。
2月1日は第1志望の受験に臨みました。
開門を待つ生徒・それを
応援する大手塾の先生方々
(塾の名声を上げたいという想いが
前面に出ている様で)、
かなり異様な雰囲気だった事を
今でも覚えています。
その後、1日午後(第3志望)・2日午前(第2志望1回目)
・3日午前(第2志望2回目)と受験に臨みました。
結果はというと、
第1志望校には合格する事は
出来ませんでしたが、
同じくらい入りたかった
第2志望校に合格でき、
本人は笑顔で満足のいく結果だったと
言っております。
中学入試を志し勉強した3年間、
1回も音を上げることなく
毎日勉強を継続し
合格を勝ち取った息子を
誇らしく思いますし、
息子自身も努力は報われるということを
体感し自信に繋がった事と思います。
是非、伸び伸びとした中学・高校生活に
してもらえればと思います。
最後に、3年間息子の勉強に
寄り添い・厳しい指導をしていただいた
玉田先生・有久先生・石井先生を
はじめとする先生方、
本当にありがとうございました。
試験当日の駅・受験会場での応援も
息子は心強かったと言っておりました。
感謝しております。
【玉田より】
この度は御通塾いただき
ありがとうございました。
また、志望校合格
おめでとうございます。
スポーツ少年で
全身から出るさわやかさ
結果が出なくても努力を
持続することができ
厳しい声掛けがあっても
臆することなく
何度も苦手単元の
プリントを要求する姿勢
素晴らしかったです。
半面メンタル面で
どうしても緊張してしまい
ケアレスミスが出てしまうことに
塾は常に危機感をもっていました。
合格してくれたということは
それを克服してくれたということだと
思います。
入試で合格するためとはいえ
自分が苦手だと思っているものを
取り組むには非常に
負荷がかかると思います。
それを取り組めたのは
彼の今後の人生に
役立つことだと思います。
今回の中学受験を通して
自分で勝ち取った自信を
これからも様々な活動に
活かしていただければ幸いです。
今回の進学先は
素晴らしい進路です。
またこれから様々な
ご活躍をお祈り申し上げます。
本当に御通塾いただきありがとうございました。
玉田
小4になってからでした。
それまでは、他の塾に通っておりましたが、
宿題も多く勉強のペースが
掴めませんでしたので
知り合いの紹介で
ひよし塾の体験授業に参加し、
息子の意思で転塾を決意しました。
入塾し4・5年時は、
1週間の勉強スケジュールを作成し
宿題・計算・妻が作成した
漢字プリントを毎日こなし、
他の習い事がない日は
塾の自習室へ行き勉強をするという
生活を2年繰り返しました
(因みに私は、計算の丸付け・お迎え担当でした)。
志望校選びはというと、
息子はスポーツが盛んな学校を希望しており、
文武両道を掲げている中学校を候補に
4・5年生の時、学校説明会・学園祭へ多数行き、
その中から行きたい中学校を3校に絞りました。
目標も定まり気合を入れ、
臨んだ初めての合不合テストは
散々な結果でした。
その後の2・3回目も
それまで牽引してきた算数が不調で、
結果を出すことが出来ませんでした。
原因は、ケアレスミスです。
授業での確認テストでも
ケアレスミスを連発し
復調の兆しはありません。
その頃から息子によく言っていた事は
「算数に頼るのはやめよう。国語・理科・社会の
3教科を底上げしないと志望校合格は出来ない。
国語を今からしっかりやろう。」
でした。そこから息子も一変し、
石井先生へ積極的にプリントを依頼したり、
本を読んだりするようになりました。
夏休みは、朝から晩まで塾に入り浸り、
授業と自習を毎日取り組み、
その結果夏休み明け以降の
合不合テストでは、大幅に点数を上げ
志望校も手の届くところまで復調しました。
点数を押し上げたのは
国語・理科・社会の3教科でしたので
息子は自信につながったと思います。
しかし、10月頃から開始した
志望校の過去問では
なかなか結果を出すことが
出来ませんでしたが、
挫ける事なく何度も何度も解き直し、
苦手単元を明確にし
その対策プリントを
有久先生・石井先生に
もらいそれを何度も解くなど
粘り強く勉強してました。
そうこうしているとあっという間に
1月校入試の始まりです。
息子は極度に緊張するので、
玉田先生とも相談し
1月校入試は2校受験しました。
案の定、相当緊張したようですが、
2校とも合格する事が出来ました。
勢いそのままに2月校受験です。
短いようで長かった3日間の始まりです。
2月1日は第1志望の受験に臨みました。
開門を待つ生徒・それを
応援する大手塾の先生方々
(塾の名声を上げたいという想いが
前面に出ている様で)、
かなり異様な雰囲気だった事を
今でも覚えています。
その後、1日午後(第3志望)・2日午前(第2志望1回目)
・3日午前(第2志望2回目)と受験に臨みました。
結果はというと、
第1志望校には合格する事は
出来ませんでしたが、
同じくらい入りたかった
第2志望校に合格でき、
本人は笑顔で満足のいく結果だったと
言っております。
中学入試を志し勉強した3年間、
1回も音を上げることなく
毎日勉強を継続し
合格を勝ち取った息子を
誇らしく思いますし、
息子自身も努力は報われるということを
体感し自信に繋がった事と思います。
是非、伸び伸びとした中学・高校生活に
してもらえればと思います。
最後に、3年間息子の勉強に
寄り添い・厳しい指導をしていただいた
玉田先生・有久先生・石井先生を
はじめとする先生方、
本当にありがとうございました。
試験当日の駅・受験会場での応援も
息子は心強かったと言っておりました。
感謝しております。
【玉田より】
この度は御通塾いただき
ありがとうございました。
また、志望校合格
おめでとうございます。
スポーツ少年で
全身から出るさわやかさ
結果が出なくても努力を
持続することができ
厳しい声掛けがあっても
臆することなく
何度も苦手単元の
プリントを要求する姿勢
素晴らしかったです。
半面メンタル面で
どうしても緊張してしまい
ケアレスミスが出てしまうことに
塾は常に危機感をもっていました。
合格してくれたということは
それを克服してくれたということだと
思います。
入試で合格するためとはいえ
自分が苦手だと思っているものを
取り組むには非常に
負荷がかかると思います。
それを取り組めたのは
彼の今後の人生に
役立つことだと思います。
今回の中学受験を通して
自分で勝ち取った自信を
これからも様々な活動に
活かしていただければ幸いです。
今回の進学先は
素晴らしい進路です。
またこれから様々な
ご活躍をお祈り申し上げます。
本当に御通塾いただきありがとうございました。
玉田